「死が来る前に」 伝道の書12:1~8

「聖書の学びの会」2023年2月15日

* 法亢聖親牧師からの解き明かしメッセージです。

             奨励題 「死が来る前に」         伝道の書12章1節~8節

 伝道の書は、青年に向けての語りとして記されています。年老いた伝道者が、どのように生きるべきかを若い世代に語っているのです。そのような語りにはありがちですが、最後にいくつか勧めがまとめられています。まず、喜ぶ機会を最大限に増やし、そのような機会が奪われないように最大限の努力をするというすすめです(11:7~10)。もう一つは、「あなたの若い日に、あなたの造り主(創造者)を覚えよ」(1節)という大変有名なみ言葉に現わされている勧めです。
 若い日は早く過ぎていくからこそ、世界を造り、それを統治し、喜びを与えてくださる神さまを心に留めて生きるようにと伝道者は訴えています。「あなたの造り主(創造者)」と語り、若い「あなた」と深い関わりのある神さまを「覚え」、ひと時も忘れないように命じています。人は忘れやすい存在だからです(1:11)。自覚的に覚えてないと、人は神さまさえ忘れます。
なぜそこまで求めるのでしょうか。死が訪れれば、神さまの賜物を味わうことができなくなるからですし、死が自分にいつ訪れるのか、誰も知らないからです。
 1~7節に書かれている詩は「老齢を比喩している」と言われます。しかし、この箇所は老化ではなく、「死」を描写しています。死んだならば、「何の喜びもない」のです(1節)。「太陽と光、月と星が暗くなる」(2節)は神さまのさばきの日を指しており(ヨエル2:30,31)、伝道者の書では、人の死の日を指しています(8:6~8)。
 2節以降」では、神さまのさばきの日が絵画的に描かれています。その日、被造物は不可解な動きをします。ですから、雨の後に雨雲が戻って来ます。身分と男女に関わりなく、人々は、怯え、仕事を辞めざるをえなくなり、家庭はもはや機能しません。町の通りの扉(とびら)は閉ざされ、商業活動は止まり、日々の食事のために必要なはずの臼をひくことさえありません。
 その一方で鳥の声は大きくなり、「歌を歌う娘たち」と呼ばれる鳥は低く飛びます。植物は枯れ果て、美しいはずのアーモンドの花は開き切り、バッタのような生き物はうなだれ、“風潮木(ふうちょうぼく)の花は、開き切って使い物にならなくなります”(新改訳)。死が到来するので、あらゆるものがもはや役に立たなくなります。
 さらには、墓(「永遠の家」)への葬送行列が町を行きます。長く持つはずの貴金属の食器は使い物にならなくなります(2~6節)。死と共に人は地に帰り、命の息である霊はそれを与えた神さまに帰るのです(7節)。
 死が来ると、神さまの賜物である喜びを味わうことができなくなります。だからこそ、自分の創造者を忘れることなく、むしろこの方を計算に入れて歩むべきです。地上での人生がどれだけ残されているのか、わからない現実の中で、今、与えられている神さまからの賜物を喜び、味わい、与える人生へと私たちを導くのが、創造の神さまを常に覚えること、すなわち、この神さまへの信仰なのです。

祈り
 死ぬべきわたしたちの現実を心に留めさせてくださる主なる神さま
生も死も支配しておられるあなたを忘れることなく生き、あなたが与えてくださっている賜物を喜び、味わうことができますようにしてください。
御子イエス・キリストのみ名によって祈ります。 アーメン

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